尾崎行雄先生没後50周年記念シンポジウム 「地球の恒久平和を考える」

尾崎行雄氏は世界連邦運動協会の初代会長として戦後の昭和20年12月に「世界連邦建設に関する決議案」を議会に提出。占領軍の意向によって廃案とされたが60年目の2005年8月2日、世界連邦日本国会委員会(森山眞弓委員長)の強い働きかけによって衆議院本会議において「世界連邦実現への道の探求」という文章が入った国会決議が採択された。2006年9月19日(火)、永田町憲政記念館第一会議室において「尾崎行雄先生没後50周年記念シンポジウム」が「地球の恒久平和を考える」というタイトルで開催された。地球人(代表世話人上田譽志美関西大学教授)主催、日韓仏教福祉協会後援。尾崎行雄先生の三女であり、尾崎行雄財団の相馬雪香副会長、日韓仏教福祉協会の柿沼洗心会長が講演を行い、来賓として韓日親善協会ソウル特別市連合会顧問河甲順氏、元国連大使夫人の西村直子氏が招かれ、それぞれの地球の恒久平和に対する意見を発表した。開会にあたり、尾崎行雄記念財団の森山眞弓理事長が挨拶を行い、「ここは尾崎行雄先生の魂がこもっています」と憲政記念館を紹介。

続いて講演を行った相馬雪香氏は、「1931年に父と共に米国に行き、その年の9月に日本が満州を侵略したという号外を受け取りました。父は『今日本に行ってもだめだからアメリカにいたほうがいい。日本は間違っているのだから。』と言って帰りませんでした。それから『尾崎を黙らせろ』といろんな圧力がかかりはじめました。父がニューヨークの会合へ行く途中ワシントンに寄ってフーバー大統領と会ったのですが、フーバー大統領は『日本は明治以来うそをついたことがない、日本を信頼する』というので父は『今の日本を信頼したらだめです』といったそうです。『今回ばかりは日本の信頼をくずした。出先で軍が動いている』と残念がっていました。個人が自分の信頼を保つということについては学校でも学びましたが国が世界の信頼を保つということを考えさせられたのはこの時でした。母は米国の病院に入院していたのですが1933年に亡くなって、日本に帰ることになりました。船で神戸に着いてみると『尾崎を上陸させるな』という旗を持っている人がいて上がれず、横浜に行ってみると『尾崎は国賊だ』と。国賊と呼ばれたり憲政の神様と呼ばれたり、評価は上がったり下がったりでした。父は戦争を止める事が出来なかった責任を感じていました。そのような父を通して世界のことを考えて、何が正しいことかを考えなければいけない、世界の中の日本ということを考えなければいけないと思うようになりました。そう思うとまず近くにいる人と仲良く出来なくてどうするのかと感じておりましたので、韓国の国会議員とお会いしましてから日本では日韓女性親善協会、韓国では韓日女性親善協会を始めることになりました。人を指差して非難するとき、1本の指は相手を指していますが3本の指は自分の方を向いている。自分を省みることが大切です。『自分に出来る小さいことをやればいい』それが私の基本なんです。」と父尾崎行雄氏と共に激動の時代を生きてきた体験談と、父親lから学び受け継いでこられた人生観を語った。

日韓仏教福祉協会 柿沼洗心会長

柿沼洗心氏は尾崎行雄氏の精神を「権力に屈しなかった。戦時中に軍縮を訴えるということは大変なことなんです。尾崎先生は女性の参政権も最初に提案されました。透徹した先見の明で先を見通しておられました」と称えた。また「韓国と日本は難しい時代もあったがいい時代もあった。聖徳太子の仏教文化は韓国から種をもらいました。昔『修身』の教えの中で『国のために血を流せ』という一節がありましたが、その時代は過ぎました。これからは地球のために生きなければなりません。世界平和、理想に向かっていくにはまず自分自身をしっかりする。悪なる自分、怠け者の自分と戦うこと、そして周りの人と仲良くすること。外国の人と会ったらまず相手を好きになって胸襟を開いて話しができるようになること。」「豊臣秀吉の時に日本に持ち帰ってきた耳塚、鼻塚を韓国に返そうとしたら『眠った子をおこすようなものだからやめたほうがよい』と反対されました。しかし大阪日韓親善協会の理事長に相談したところ『それはよいことだからやろう。協力するから』といわれ、各種団体と協力して韓国に送りました。韓国の人が『今まで400年間異国の地にいって供養もせずにいた後孫を許してくれ』と』涙を流しているのを見たとき、これは過去の因縁を解決しなければならないと思いました。日本がかわいい、家族がかわいいから因縁をなくさなければならない。100年前に日本軍が持ち帰った北関大捷碑を8年前に李久殿下が韓国に帰られるときにおみやげとして韓国に持って帰ってはどうかという話しが韓国政府からありました。米国貿易センターの・・・・氏に相談したところ「米国にとっても北朝鮮のことは大事なので」と北朝鮮の国連大使をよんで協定書を交わしてもらい、昨年の10月20日、飛行機で韓国に着いて、今年の3月1日北朝鮮に着き、北朝鮮の国宝になりました。北朝鮮から招聘されたのですが、自分は行かなかった。北朝鮮からは丁寧な文書が届きました。」とご自身が実践してこられた平和活動、民間外交について語った。

来賓の河甲順氏は柿沼洗心氏が韓国、北朝鮮に対してこられた誠意ある活動に対して感謝の辞を述べ、西村直子氏は世界が一つに宗教が一つになること、平和活動の重要性を訴えた。質疑応答の時間に柿沼洗心氏に対して「戦争はどうすればなくなりますか?」との質問があり、「尾崎先生の廃国置州論、さらに各国が軍隊をなくして国連軍に結集し紛争は国連の名において解決すればよいのではないか」との具体的な提案がなされた。最後に相馬雪香氏は「今日ここに来られた方が自分に出来ることをやる、ということを決心して帰ってください」と来場者に未来を託したかのようなメッセージを送った。民間外交を地道に継続することが国を動かし世界を動かすということを実証し、まず身近な国との関係改善に尽力をつくしてこられたお二人の講演者に大きな拍手が寄せられた。